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2008.11.08 「Change the world」第1章
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「うわ〜、真奈、久しぶりやんー!! 元気しとったぁ!?」 夕刻の博多駅前。一度、素知らぬ顔で通り過ぎたのをわざわざ戻って声をかけてきたのは中学生のときの同級生だった。 「……ああ。うん、久しぶりやね」 「またぁ、相変わらずあんた、クールやねぇ」 「そっかな。別にそがんことなかけど」 バスケ部の元チームメイト(アタシは助っ人だったが)ではあるが、特別に仲が良かったわけでもないので、そんなにハイテンションで来られても応対に困る。 「あれっ? あんた、学校の帰り?」 そんなことは気にせず彼女は続けた。返事の代わりに曖昧なため息をついてみせた。 「まあ、そんなとこ」 「でも、制服違うやん。真奈が行ったとこ、だっさいセーラー服やなかった?」 「あんた――?」 寸でのところでその続きを飲み込んだ。 「……転校したとよ。ちょっといろいろあって」 「へえ、そうね。ほら、あたし中学卒業してからすぐ、また海外やったけんさ」 そういえば、彼女は父親が外資系の会社に勤めている関係で、断続的に海外生活を送ったと言っていた。その割に英語の成績は散々だったような記憶があるが、それはまあ、どうでもいい。――道理でアタシに気軽に声をかけてきたわけだ。 「でもさ、その制服やったら、学校は六本松やろ。こがんとこで何しようと?」 「予備校に行っとったとよ」 トートバッグから<福岡大学 後期日程再現問題>と書かれた封筒を取り出した。 三月も半ば。入試が終わってしまえば予備校に顔を出すことなどないと思っていたのだけれど、世の中はそんなに甘くない。 この一年、アタシなりにちゃんと勉強に励んできた。 けれど、合格しているという確証は持てていないのが現実だ。現に前期日程で受けた人文学部英語学科は見事に落ちてしまっている。仕方がないので後期で日本語日本文学科を受けて、他にも幾つかの大学の二次試験を受けた。 出来上がったばかりの後期の再現問題なんか貰いに来たのは、その出来にすら自信が持てていないからだった。終わってから何をしても同じなのは分かっている。けれど、合否の発表まで身悶えしかやることがないというのは、あまりにも精神衛生上良ろしくない。 しばらく、近況報告のような会話が続いた。数分ほど話して分かったことは、彼女もアタシが通っている予備校の生徒だったことと、そこで同じ大学を受験する男子と出会って一緒に勉強するうちに急接近したことくらいだ。 予備校は保健体育を学ぶところじゃないぞ、と言ってやろうかと思ったけど、妬んでると思われては心外なので言わずにおいた。 「あー、でもホント久しぶりやん。去年、こっち戻ってきたとやけど、中学のときの友だちとかもうバラバラやけんね。わざわざ探してまでっては思わんし、三年じゃ同窓会もなかしさー」 「そりゃそうやろうね」 「でもさ、この前、担任やった先生には会うたよ。あの人さ――」 相手が聞いているかどうかも確かめもせずにまくし立てる彼女を見ながら、アタシは心の中で苦笑いを浮かべていた。 およそ昔の知り合いで、アタシにこんなに気軽に話しかけてくる人間はいない。一時期のように穢れたものを見るような視線を浴びることはさすがになくなったが、目の前のノッポがアタシだと気づいたときに誰もが気まずそうに目を逸らす。 それが加害者の家族に向けられる”関わりあいになりたくない”という気持ちか、それとも自分が理屈の上では何の罪もないはずのアタシに加えた仕打ちへの良心の呵責か。 いずれであってもアタシに知る術はない。 「――そういえばさ、真奈は彼氏とかおらんと?」 「へっ?」 幸せな人間は時にものすごく答えにくい質問を悪意もなく投げつけてくることがある。隠し立てするようなことではないが、そんな彼女に向かって、自分が一ヶ月前に彼氏と別れたばかりとは言えなかった。 「……もう、だいぶ長いことフリーやけど」 「えー、そうなん? 寂しうない?」 「別に。彼氏とかおらんでも困らんしさ」 「そがんこと言うて、あんた、中学のときは学年一の秀才くんと付き合いよったやん」 「……あんた、なんでそれ知っとうと?」 誰も信じてくれないけど、アタシにだって乙女心というものがある。人並みに照れというものもある。アタシとその”学年一の秀才くん”は確かに付き合っていたが、二人とも学校ではひた隠しにしていた。 彼女は弾けるように笑った。 「ちょっとー、知らん人間とかおらんよ。真奈、ひょっとして隠せとうって思っとったと?」 「いや、その……」 たった今、この瞬間まで思ってた。 「えー、知らんかった。誰もアタシにそがんこと言わんし」 「当たり前やん。真奈を冷やかしたりする命知らずとかおるわけなかろ。――でも、あたし、真奈はずーっとあの秀才くんと付き合いよるって思っとった」 「そがんわけないやん。亮太は卒業と同時に東京に帰ったよ」 「そうやったっけ。……ごめん、変なこと言うて」 「よかよ、気にしとらんけん」 お互いに少しバツの悪い笑みを浮かべる。昔話が必ず花が咲くものとは限らない。 「そんじゃね、真奈。あたしたち行くけん」 「たち?」 彼女の目線を追った先には、どこぞの高校の制服を着た男子が立っていた。 「じゃあね、真奈。また今度」 「うん、お幸せに」 「ありがと」 二人の背中を見送った。並んで歩きながら自然に手を握り合う姿は微笑ましくもあり、ほんの少しだけ羨ましくもある。肺の中の空気を吐き出してしまうほど、深くて長いため息をついた。 それが合図だったように携帯電話が鳴った。 「もしもし?」 「アニョハセヨ」 「……なんで韓国語ねって」 電話の向こうで由真が笑う。誰かがやっていたのが面白かったらしく、最近は電話のたびに「ニイハオ」だの「アロハ」だのと怪しい挨拶をされる。まあ、飽きっぽい彼女のことなのでそう長くはないだろうが。 彼女とは高一の夏に知り合い、今では無二の親友と言ってもいい間柄だ。性格も育ってきた環境もまるで違うし、趣味にも好きなミュージシャンにもおよそ共通点らしきものが見当たらないアタシと由真の仲がいいのは周囲からするとちょっとした謎らしい。 「真奈、今どこ?」 「博多駅。今から帰ろうかと思って」 「地下鉄?」 「バス」 「えっ、なんで?」 「なんでって……。わざわざ遠回りする必要なかろうもん」 アタシの家は中央区と南区の境目、平尾浄水にある。博多駅からは駅前の住吉通りを走る路線バスに乗ればたどり着くところだ。一方、地下鉄だと一度天神に出て、そこから七隈方面に乗り換える必要がある。 「どがんかしたと?」 「ううん、ちょ〜っとお願いしたいことがあるとやけど……」 「なんね。回りくどか言いかたせんで、はっきり言わんね」 「実はね、天地下のお店に補正を頼んどるのがあるとやけど、それを取ってきて欲しかと」 (やっぱりか) 諸般の事情で由真はアタシの家に居候していて、この手のお使いを頼む電話は割と頻繁にかかってくる。 「別によかけど、補正やったら自分で行かんと、合わんかったらいかんっちゃないと?」 「直したとはボタンの位置やけん、そういうことはないとやけど」 「ふーん……。でも、引き換え券は?」 「それは大丈夫。電話しとくし、あたしは顔パスやけん最初から券はなかし」 「ああ、そう」 女子高生の分際で顔パス云々はともかく、品物を取りに行くだけなら文句を垂れるほどのこともないだろう。 ただし、受け取ったらダッシュで店から脱出する必要はある。以前、同じように由真にお使いを頼まれたところ、そこのショップ店員と彼女がグルになっていて、興味はないと言ってるのにいろんな服を試着させられたことがあるのだ。 さて、どうしたものか。 市営地下鉄空港線が乗り入れる地下鉄天神駅は天神のど真ん中を南北に走る天神地下街の北側の区画を横断するように設置されている。一方、七隈線が乗り入れる天神南駅は四年前に南に伸延された新しい区画の南端にある。 両者は二〇〇メートルほど離れていて、乗り換えのときは専用の改札を出て二時間以内に乗り換え先の改札をくぐればいいことになっている。たかだか二〇〇メートル歩くのに二時間もかかるはずはないので、その時間は天神地下街でお買い物をしてくださいということなのだろう。 由真のお使いに少々時間がかかったところで、乗り換えに差し支えはない。 「用件はそれだけ?」 「あと、ついででよかけん、ソラリアのINCUBEで捜してきて欲しかもんがあるとよね」 「はいはい、もう何でも言うて」 どうせ天神に出るのなら同じことだ。受け取る品物の詳細と捜してきて欲しいという品物のことを訊いて電話を切った。 「さて、と」 わざとらしく一人ごちて、地下鉄の駅に降りるためにJRの駅舎を出た。構内から直接でも行けるのだけれど、地下の食堂街を通らなくてはならないので外にある降り口からのほうが便利がいいのだ。 まだ夕暮れには少し時間があったけど、生憎の曇天で辺りは薄暗く、空はうっすらとした鉛色だった。南国九州と言えば燦々と陽光が降り注いでいるようなイメージがあるが、日本海に面した福岡はそんなこともない。 ボンヤリと空を見上げた。 考えないようにしていてもさっきの会話が脳裏をよぎる。正確に言えば跳ねっ返りなアタシの一挙手一投足に向けられる「……しょうがないな、真奈は」という苦笑いの表情が。 三浦亮太――学年一の秀才くん。アタシが初めて付き合った男の子。 最後に連絡をとったのはいつのことだろう。パソコンに触れないアタシのために、亮太はわざわざレターセットを買って手紙を書いてくれていた。女の子とは思えない悪筆のアタシと違って、やわらかくて綺麗な字が並んだその便箋は今でもアタシの宝物だ。 (……今ごろ、何しようとかいな) それはさっきの彼女に言われての疑問ではなかった。アタシはこの一ヶ月、何かを懐かしむようにそれらの手紙やあの頃のアルバムに見入る日々を送っていた。決して不幸な子供時代を送ったわけではないが、こと恋愛に関しては――別れたばかりの彼を除けば――亮太以外には浸れるような思い出の持ち合わせがない。 そんなことを考えながら突っ立っていると、唐突に背後から声をかけられた。 「――あの、すいません」 それは何でもない言葉だった。 しかし、その声はアタシの背筋を凍りつかせた。低くて静かなその声に聞き覚えがあったからだ。 (……亮太!?) そんな馬鹿な――そう思いながら、弾かれたような勢いで振り返った。 |