『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.11.21 「Change the world」第13章
 
 横河先生の家は田んぼ道から見えたあの大きなお屋敷だった。
 築一〇〇年は軽く越えている平屋建ての母屋は、しかし、城跡近くの武家屋敷跡とは造りが違っていた。昔ながらの農家といった感じだ。何部屋あるのか分からないほどだだっ広くて、その手前に広がる砂利が敷かれた庭もフェンスを立てて土を入れればさっきのソフトボールの続きがやれそうな広さだった。母屋の陰で見えないけど、その背後にも敷地は広がっているようだ。
「さぁさ、ようこそ」
「お邪魔しまーす」
 アタシたちは母屋と離れを繋ぐ廊下の手前にある座敷に通された。
 樫の一枚板で作られた座卓の上には、昼ごはんができるまで、と先生がせんべいやおかき、ほうじ茶の急須とポットを用意してくれていた。アタシは三人分のお茶を淹れて小石原焼の湯飲みを二人の前に置いた。
「ほら、ちゃんとあんたの分もしてやりよろうが」
 アタシが言うと、志村は何を言われているのか分からないような顔をした。
 しばらく、誰も口を開かなかった。
 アタシはわざとだ。志村はおそらく何を喋ればいいのか分からないのだろう。向坂だけが言いたいことがあるような顔をしていて、そのくせに言い出すきっかけをつかめないでいるようだった。
 やっぱり帰ろうぜ、という言葉が素直に言えるタイプではないのだ。
「ねぇ、榊原さーん。お昼の用意、手伝ってくれん?」
 家の中なのにひどく遠くから先生の声がした。
「はーい、いいですよ」
「おまえ、料理なんかできんの?」
 志村が立ち上がったアタシを見上げる。
「昨日、どこに連れてったか忘れたとね?」
「おまえが調理場にいるなんて、聞いた覚えがねえよ。――でもまあ、確かにフロア係が務まりそうな感じじゃねえしな」
「……それ、どがん意味ね?」
「だってよ、おまえ、顔が老けてるから着物なんか着たら、若女将にしか見えねえじゃん」
「なんてッ!?」
 近寄って下段回し蹴りの一発も叩き込んでやりたかったけど、今、こいつと喧嘩するわけにはいかない。
「あんたの分にだけ、たっぷり山葵とか芥子とかぶち込んどってやるけん、覚悟しとかんね」
 憎まれ口を叩きながら目の隅で向坂の表情を見た。お義理な笑みを浮かべているが困惑を感じているのは隠せていなかった。
 声がした方向に向かって屋敷の中を歩いた。裏庭に面した廊下に出たところで思わず声が洩れた。
「うわぁ、すご……」
 しばらく窓の外の景色を見渡した。
 個人の家の敷地だというのが信じられない広さで、生い茂る緑に囲まれた静かな空間だった。まだ暖かいとは言えない季節だけれど、ここは周囲よりもいっそうひんやりとした空気に覆われているような気がした。今風に言うならマイナスイオンが充満しているようにも思える。
 そんな中にひっそりと離れが建っていた。
 母屋に比べればかなり質素な造りだけど、決して手を抜いたものではない。ただし、築年数は相当なもののようで、窓枠は母屋がサッシに替えられているのにこちらは木でできた枠のままだ。ガラスも今どきあまり見ない擦りガラスが入っている。そんな中でエアコンの室外機から伸びるパイプが壁を穿っているのが場違いな感じに見えた。
 厨房――としか言いようのない広さの台所――は裏庭に面したところにあった。先生はだご汁に入れるだんごを作ろうと小麦粉を練っている最中だった。
「裏の離れは誰か住んどらすとですか?」
「ああ、あそこが衛さんが住んどらしたとこ。今のは五〇年くらい前に建て替えられとるけど、昔は同じ場所に藩の座敷牢があったとよ。ほら、よう見たら周りの地面に塀の跡があるやろ?」
 先生が粉まみれの指で指した先を見た。今は土の盛り上がりにしか見えないけど、確かにそれは離れの建物をぐるりと囲むように続いている。
 しばらく先生を手伝って、バイト先でやってるのとあまり違わない作業に精を出した。
 志村にはああ言ったけれど、実際の話、アタシは可愛らしい和服を着てフロアに立つよりも作務衣を着て調理場に立っているほうがよほど似合っている。由真に「大学に受からんかったときはそのまま就職したらいいやん?」と言われているほどなのだ。
 調理の間、先生は脈絡のない飛び飛びな感じで向坂の大伯父、向坂衛について話してくれた。
 終戦の直前、遠縁の親戚を頼って妹の啓子と一緒に疎開してきたこと。折り合いが悪い家族というのが戦死した父親に代わって母が再婚した叔父であること。それが理由で遠く九州の大学に進学し、そのまま、久留米大学の教授で郷土史家だった横河源太郎の門弟になったこと。それが縁で秋月に住むようになり、見合い結婚もしたがその幸せが長く続かなかったことは納骨堂で聞いた話と同じだった。
 向坂衛はどちらかといえば物静かで他人と関わりあいになることを好まず、大学講師という仕事に就いていなければ人前に出るのを躊躇うような人だった、と先生は笑った。
「永一くんは衛さんの若か頃によう似とらすねぇ。衛さんと啓子さんは似とらっさんかったけど」
「そうなんですか?」
「まあ、男と女やけんね。そがん似とっても困るやろうけど」
 確かにそうだと言いたいところだが、これについてアタシは他人のことをとやかく言える立場にない。アタシは博多人形のような典雅な顔立ちの祖母ではなく厳めしい祖父に似ているからだ。
 一通りの準備を終えて、後はだんごの生地が落ち着いてから汁に投入すれば終わりということになった。先生は自家製だというぶどうのジュースをご馳走してくれた。
「向坂くんのお祖母ちゃんって、どがん人やったとですか?」
「そうねぇ……。なんて言うか、堅苦しか人やったねぇ。悪か人やないとやけど、一緒におったら息が詰まるごたる感じでね」
「お兄さんの前でも?」
「衛さんの前でどがんやったかは知らんけどね。ばってん、たった二人の兄妹やけん。――あ、必ずしもそういうわけやないっては聞いてるけど」
「どういうことですか?」
「ほら、さっき言うたろ。衛さんのお父さんが戦争で亡くならしたけん、お母さんはその弟さんと再婚せらしたって。衛さんと啓子さんはお父さんが一緒やけど、他のご兄弟とは違わすとよ」
「へえ……」
 向坂の親族が大叔父に冷淡な理由は、そのあたりにあるのだろう。
「向坂くんから聞いたとですけど、お二人はずっと手紙のやりとりをされとったんだそうですね」
 それは居酒屋での食事中の雑談で聞いた話だった。
 向坂の親族は二人に交流があったとはまったく知らず――向坂の祖母の家は火事で焼けてしまっていて、遺品は入院先の僅かな身の回りのもの以外は何もなかったらしい――向坂衛の訃報が飛び込んできて初めて知ったのだそうだ。
「そうやねぇ。まあ、啓子さんらしいて言うたらそうなんやけど、年に四回、本当に計ったごとして三の倍数の月初めに届くとよ」
「几帳面な方やったとですね」
「冗談半分やろうけど、指導用の教科書に引くアンダーラインも定規ば当てんと引かれんとか言いよらしたね。案外、冗談やなかったかもしれんけど」
「それとに、ここに来るときはいきなりやったとですよね」
「私にも不思議やったとやけど。まあ、人間、何でも理詰めってわけでもないとやろうしね」
 まあ、それはそうだろう。
「手紙ってまだ残っとるとですか?」
「手紙って、啓子さんの?」
 訝られるかなと思ったけど、先生はいかにもこの人らしい、大らかそうな笑顔を浮かべただけだった。
「あるよ。今、私が全部ばスクラップ・ブックに貼りよる。――えっ、そがんおかしかかな!?」
 アタシがよほど意外そうな顔をしていたのだろう。慌てて首を横に振った。
「そういうわけやないですけど。でも、どうして?」
「ずっとここに置いとってもしょうがなかけん、納骨堂に収められるごとしようと思って――って言いたかところやけど、うーん、本当のところはねぇ――」
 先生の目が遠くを見るように細くなった。
「私自身が、読み返しとうなったけん、かな。ずっとお世話しよった言うても他人なんやけん、本当は勝手に読んだらいけんとやろうけど」
「……でも、最後のほうの手紙は先生が読んであげよったとでしょ? 白内障かなんかを患っとらしたって言われましたよね?」
 アタシの助け舟に先生は小さな笑みで答えてくれた。
「そがんやけど……。でもね、正直に言うて、読んであげんかったところもあるとよ。永一くんのご両親と啓子さんが仲が悪かったとは知っとる?」
 小さく頷いた。冷静に考えれば、向坂の友人の従妹という触れ込みのアタシがそんなことを知るはずがないのは分かったはずだけど、先生の口調には他人のプライバシーに踏み込むことへの共犯者を求めるニュアンスがあった。
「そのせいっていうわけかどうか知らんばってん、永一くんと啓子さんも普通のお祖母ちゃんと孫っていう感じやなかったらしかとよね。でも、啓子さんは啓子さんで、それについてはいろいろ悩んどらしたごたってね――」
「それをお兄さんに手紙で相談されとったわけですか?」
 先生は少し首を傾げた。
「そがんわけでもなかとやけどね。なんて言うたらよかとかねぇ――文面から、何か伝わってくるごたる、って言うとかねぇ」
 曖昧に同意を求められても困るけど、言わんとするところは理解できた。
「ほら、さっき<アラジン>の話ばしたろ? あれもね、本当は啓子さんが泣かした理由も知っとるとよ。永一くんが小学生のとき、二人で見に行った最後の映画が<アラジン>やったとたいね」
「そうですか……。そのスクラップブックって、もうできあがっとるとですか?」
「うん、だいたい。ばってんね、実は一通だけ見つからん手紙があるとよ。去年の夏の手紙がね。部屋中、捜したとやけど」
「どがん内容だったとですか?」
「それがねぇ……ようと考えたら読んどらんとよねぇ。来たとは間違いなく覚えとうとやけど、そういえば衛さんから読んでくれって頼まれんかったごたるし。まだボケる歳やないとやけど、物忘れが多うなっていけんね。――っと、そろそろよかかな」
 先生はだんごの生地の様子を見て、満足そうに笑みを浮かべた。
「榊原さん、お椀ば出してもらっとってよかね?」
 話はそこで途切れた。アタシは先生が指差した棚から食器を取り出しにかかった。
 向坂に対して彼の祖母がどんな感情を抱いていたのか、アタシは知らない。
 志村の話で聞いたように、そして今、横河先生の話でも聞いたように、二人の関係は決して心穏やかなものではなかったのかもしれない。ただ、遠い昔に幼い孫と一緒に見たアニメ映画を見て号泣したということは、向坂の祖母にも孫に対して見せてこなかった何らかの感情があった証しではないだろうか。
 だとしたら、それは向坂永一に伝えられるべきではないのだろうか。
 
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