『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.11.23 「Change the world」第15章
 
 黄色いちょっとゴワゴワした台紙の綴りのページに飾り気のない便箋が一枚ずつ貼られていた。一冊が二〇数ページしかない割に分厚く感じられるのは、右側のページにしか貼っていないだけじゃなくて、貼り方が雑で便箋が台紙から浮いていたりして収まりが悪いからだ。
 三ヵ月に一度の便りの割には手紙はどれも短かった。小さくて神経質そうな文字がきっちり詰まっているので文章量はそれなりにありそうだけど、大半のものは一度に一枚。たまに二枚のこともあるけどそれより長いものは見当たらない。
 とりあえず、一番最後の手紙に目を通した。去年の六月――向坂と先生の昼食時の会話によれば、彼の祖母、安斎啓子が亡くなるおよそ二ヶ月前に書かれたものだ。

     *     *     *

 拝啓、衛兄さん。

 爽やかな初夏、とはいささか言いづらい雨の日が続いていますが、お変わりありませんか?
 先日戴いたお便りでは、お元気そうな写真を送ってくださって嬉しく思いました。ですが、また病気に再発の兆しがあるとのことで、大変心配しています。
 出来ることなら身の回りの事をしに駆けつけたいところなのですが、なかなかそうもいかないことが心苦しく思えてなりません。みどりさんを始めとした横河家の皆さまに兄さんのお世話を重ねてお願いするのと、遠くから一日も早く快方に向かわれることをお祈りする次第です。
 ところで私のことですが、特に大きな変化もなく、平穏な日々を送っております。
 せっかくの手紙なのですから、何か面白おかしいことをお知らせしたいところなのですが、考えてみれば、この歳になって平穏無事な人生を送れているというのは本当に幸せなことです。そうじゃありませんか?
 でも、一つだけ、私にも心を躍らせていることがあるのです。何だと思われますか?
 どうやら、この秋には兄さんのところへ遊びに行けそうなのです。
 定年を迎えてそろそろ三年になりますが、しかし、身の回りの雑事というのはなかなか減らないもので、最後にそちらへ伺ってから二年以上が過ぎてしまいました。あれは春のことでしたから、秋月城址の前の通りでは桜が美しい花を咲かせていましたね。
 みどりさんが紅葉の季節の秋月も素敵だと言われていたのを思い出します。秋月だから秋は素晴らしい、という兄さんの駄洒落はちょっと戴けませんでしたけれど……。
 それは冗談ですが、またお会いできる日を楽しみにしております。そのときまでに兄さんが健康を取り戻されていることを切に願っております。敬具。

 追伸。
 永一のことですが、大学に進む気になってくれたようでホッとしております。両親があんな調子ですから、あの子がちゃんと向学心を持ってくれるかどうか、とても心配していたのですが、どうやら杞憂だったようです。経済的な部分でまだ不安が拭い去れたわけではないのですが、そこは何とかなるのではないか、と柄にもなく楽観的なことを考えたりしていて、自分でも可笑しいのですが。

     *     *     *

 これまでに聞いた話を総合して言えることは、安斎啓子は兄への手紙に本心なんか書いていなかったということだけだ。
 向坂の祖母は彼が高校二年の夏に子宮がんを発症し、抗がん剤治療の末に一年後に息を引き取っている。アタシの身の回りにはがんの闘病患者がいないので詳しいことは分からないけど、あれはかなり身体に負担がかかって苦しいと聞いたことがある。すでに末期状態だったはずの六月に九州の片田舎への旅行を計画できたとは思えなかった。
 体を壊している年老いた兄に心配をかけたくなかったのだ、とは言えるかもしれない。しかし、それにしても――もちろん、それはアタシが現実の一端を知っているからなのだろうけど――たった一人の兄に嘘をつくというのは、いささかやりすぎな気がした。
 その一つ前の手紙も内容的には大した違いはなかった。アタシは安斎啓子の手紙から彼女の人物像へ近づこうとしたことへの徒労感に襲われた。
 ただ、一つだけ気になることがあった。手紙の最後には必ず追伸があって、それはいつもたった一人の孫に触れたものだったという事実だ。
 全部を読む時間はないのでそこだけを拾い読んでいった。

”永一が無事に高校三年生に進級しました。無事にと言っても、成績の面ではまったく心配する必要はなかったのですが、あの子は去年の秋に大怪我をして入院しましたから、出席日数や単位がちゃんと足りているかどうか、心配で仕方なかったのです。私としたことがまだ学校に勤めている同僚に問い合わせてみたりして……。もちろん、永一にはそんな素振りは見せませんでしたが。”

”先日、永一の家庭訪問がありました。尤も担任の先生は私のことを知っていますから、どちらかと言えばかつての同僚が訪ねてきたような感じでしたし、そもそも、何かにつけて永一のことは耳に入ってきますから、家庭訪問の必要があったのかすら疑問なのですけれど。結局、永一がクラスにあまり馴染めていないことと、成績はこの調子で行けば問題なかろうということを五分ほど話しただけで担任は帰ってしまいました。”

 かと思えば、志村に触れているところもあった。

”最近、永一の友達という男の子が我が家に出入りするようになっています。ちょっと不良っぽいところがあって、どうしてこんな子と永一が友達になったのか、私には理解できないところがあるのですが。ただ、この男の子と友達付き合いするようになって、永一が少しですが明るくなったような気もするのです。こういうことは、やはり同じ年頃の友達にしかできないことなのでしょうね。”

 追伸のほとんどはこんな調子だったが、中には同じ内容でもやや孫のことを貶すような表現のところもあった。横河先生が向坂衛に読んでやらなかったというのはそういう部分のことだろうと思われた。
 短い文章でも、これだけ積み重ねられるとそれなりの情報量がある。手元の一冊からその前へと流れをたどっていくと、向坂は中学一年のときに祖母に引き取られていることが分かった。理由はともかく、その年の三月の手紙に書いてあったので間違いあるまい。
 そこから後の手紙には彼が周囲の心配に反して成績優秀で――これまた理由は分からないけど、向坂は小学校のどこかで一年留年しているらしかった――しかし、周囲にはまるで溶け込めない異端児だったことが表現を変えながら繰り返し書かれている。ただ、それが元で苛められたとかいうことはないようだったが。
 引き取られる前の手紙も読んだ。
 そこにも追伸はあった。けれど、引き取った後に比べれば内容があっさりしているというか、人づてに聞いた話のような書き方が目立っていた。向坂の祖母と母親は仲が悪かったというから、孫に会う機会そのものが少なかったのだろう。そんな中でも向坂のことを書き続けたのは彼女の愛情だったようにも思える。
 さらにページを遡った。そして、捜していた<アラジン>絡みの記述を見つけた。
 平成五年の夏の手紙。そこにはこう記してあった。

”先日、初めて永一を連れて映画を見に行きました。やっていたのはディズニー映画で男の子にはどうかと思いましたが、永一は大喜びでした。映画そのものが面白かったのか、私と出掛けたのが嬉しかったのかは分かりませんが。私にとっても、初めて永一に普通の祖母らしいことをしてやれた一日でした。ですが、それもこれが最初で最後です。”
 
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