『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.11.09 「Change the world」第2章
 
「――はい?」
 目の前にいたのは、真面目くさった顔をしたアタシと同い年くらいの男子だった。
 灰色の少し毛羽立ったダッフルコートに色褪せたデニム。肩からは古ぼけたボストンバッグを提げている。笑えばハンサムの部類に入るのは間違いないだろうが、あまり表情豊かな感じには見えなかった。整った目鼻立ちが却って近寄りがたい印象を与えるタイプだ。主義主張があって伸ばしているふうではない前髪が目の上まで掛かっていて、顔の半分にかかる暗い翳がその印象をより強いものにしている。
 男子にしてはほっそりとした体躯といい、繊細そうな顔立ちといい、亮太と共通する部分は少なからずある。けれど、どこをどう見ても彼はまったくの別人だった。
(……そうよね、そがんわけなかよね)
 アタシは何を考えているのだ。亮太が福岡に来ることなどあるはずがないのに。
「博多口って、こっちで間違いないですか?」
 目の前のダッフルコートの彼が亮太の声で続けた。
 慌てて駅の構内を指差した。内心の動揺を押し隠そうとして、自分でも気持ち悪くなるほどの笑顔が浮かんでいるのが分かる。
「ここは筑紫口。博多口はあっち」
「違うんですか?」
「ここの表示って不親切なんよね。博多口の手前に筑紫口の表示が出とうし。あっちって矢印は出とうけど、そがんと地元の人にしか分からんもんね」
「はあ……。そうなんですか」
 博多駅には二つの出口がある。駅の西側、博多の街並みやその向こうに天神を見る博多口と、東側の官公庁や空港を見る筑紫口だ。博多駅の構内が方向を見失いやすい造りなのもあって、遠方から来た人は割と間違えると聞いたことがある。
「参ったな……」
 彼はポツリと呟いた。間違ったことへの落胆の台詞なのに、淡々とした口調のせいでどうでもいいことのように聞こえる。
(――でも、やっぱり似とう……)
 目を閉じて会話したら、より強くそう思えたに違いなかった。線の細さに似合わないよく通る深みのある声質。ほんの少し、喉に引っかかるように掠れているところまでそっくりだ。
 付き合い始めた頃の亮太は変声期の終わりで少し聞きづらいこともあったが、それが終わるとバラードを歌わせたらちょっとウットリするような落ち着いた低音になっていた。あまりに気に入ってしまって、嫌がる亮太に無理やり<愛しのレイラ>のアンプラグド・ヴァージョンを歌わせたこともある。
 アタシは昨夜もそのテープを聴き返していた。そうでなければ、遠い耳の記憶だけで二人の声を重ね合わせたりしなかったかもしれない。
「――だから言っただろ。間違いないのかって」
 彼の背後から別の声がした。
 口を挟んできたのは連れにしては異質な感じの男だった。スタッドがびっしり打たれた黒革のジャンパーにヴィンテージ・ジーンズという、よく言えばワイルド、悪く言えばいかにもワルそうな身なり。襟元や手首にシルバーのアクセサリを鈴なりにして、手にはタバコの吸殻を押し込んだ空き缶を持っている。身長一七三センチのアタシよりも一〇センチ近く背が高い。
 ダッフルコートの彼の間違いに付き合わされたからかもしれないが、男は面白くなさそうな表情を隠そうともしなかった。クセのある拗ねたような目つきがせっかくの優しそうな顔立ちを台無しにしている。
 アタシはそんな彼の顔をマジマジと見ていた。
 
 いったい、何だというのだろう。
 ミッション系の学校に通っていながら、アタシは神様や運命をまるで信じていない。
 けれど、もしそんなものがいるのだとしたらずいぶんと意地悪なものだ。昔の彼氏を思い出させる男に続いて、今度はついこの前までの彼に似た男とは。

 革ジャンの彼の訝しそうな視線でアタシは我に返った。意図して表情をほころばせた。
「――あんたたち、こっちの人じゃなかろ? 旅行?」
 二人は面食らったような顔になった。アタシがそう思ったのは彼らのイントネーションもあるが、革ジャンの彼も大振りなボストンバッグを足元に落としていたからだ。
「そんなところかな。――ありがとう、助かったよ」
「ううん、別に」
 一瞬の間。
 何でもいいから、彼らと話を続けたい衝動に駆られた。しかし、話を続けるきっかけは何も見つからなかった。そんなもの、最初からあるはずがない。
(バカやないと? アンタ、何ば期待しとうとね?)
 心の中で自分に叱咤を浴びせた。失恋の痛手はとうの昔に振り払ったはずだった。
「――じゃあね」
 小さく手を振って二人から離れた。振り返りたくなるのを抑えつけて地下鉄の駅に降りて、上の空のままで天神駅までの切符を買った。
 ホームに降り立ったのと天神行きの列車が滑り込んできたのはほぼ同時だった。ラッシュには早いので席の余裕はありそうだったけど、地下鉄のドアは閉まるのが意外と速い。小走りで列車に駆け込んだ。アタシが乗り込んですぐ、ホームドアがプシューと音を立てて閉じた。
 席に腰を下ろしてトートバッグからiPodを取り出す。ボディに巻きつけたイヤホンを解いて耳につっこんで、プレイリストの一つを適当に選んで再生した。
 流れ出したのは山下洋輔の<スパイダー>だった。
 周囲からは洋楽のハードロックしか聴かないオンナだと思われているし、アタシ自身もそう公言しているけど、本当はこういうジャズも聴く。その昔、ある男に向かって「ジャズは嫌いだ」と言ってしまった手前、こっ恥ずかしいから秘密にしているだけだ。
 別に山下洋輔が聴きたかったわけじゃない。実際のところ、今は何を聴いてもあまり耳に入らない状態だった。ただ、それならヴォーカルのある曲よりインストゥルメンタルのほうが多少はマシかもしれない。
 さっきの二人を思い出しながら、携帯電話のメールボックスを開いた。由真以外にはアタシにメールを送ってくる相手はあまりいないけど、この一ヵ月、二日に一度くらいのペースでメールが届く。
 そんな中の一つを呼び出した。別れたばかりの元彼からのメールだ。アタシが長文のメールを嫌っていることを知ってるからか、文面はまるで用件を並べたメモのように短い。

<真奈さん、お元気ですか。オレは元気です。昨日、やっと部屋にベッドが届きました。これで板張りに布団をしいて寝なくていいので助かります。まだまだ一人暮らしに必要なものが揃わなくて困ります。えーっと、また、連絡します>

 アタシはあんたのママじゃない。つまらないメールを送ってくるな――といつも思う。
 実際にそう返事したこともある。けれど、まるで我慢比べのように近況報告のような文面は届いていた。アタシにしたところでいちいち苛立ちながらもメールを削除できないでいたし、着信拒否することもできないでいる。
 別れ間際に聞かされた話では、新しい職場は東京のど真ん中――渋谷にあると言っていた。福岡の田舎者の元ヤンキーが大都会に馴染めるのか、一抹の不安がないではない。
(バカやないと。なんでアタシがそがんこと、心配してやらないかんとね) 
 一ヶ月前のヴァレンタイン・デー。アタシは手作りのチョコレートの代わりに彼に渾身の平手打ちを贈った。
 アタシより自分の夢を選んだあの男を、アタシはもっと恨んでいいはずだ。なのに、怒りどころか恨み言の一つも浮かんでこない。あまつさえ、アタシは自分のほうから別れ話を切り出して彼を送り出していた。
 形としてフラれるのを拒んだと言えなくはない。けれど、結局は同じことだ。アタシはそんな無意味な意地は張らない。何故、自分がそうすることを選んだのかは未だによく分からないままだ。
 静かに息を吐き出しながら携帯電話を折り畳んだ。山下洋輔はいつの間にか演奏を終えていて、代わりにクリス・コーネルが声を張り上げていた。
 アタシはバンド時代のほうが好きだが、この曲は007のテーマなので日本以外ではかなりヒットしたらしい。およそ去年の曲とは思えない八〇年代テイストのハードロックに耳を傾けながら、アタシはついさっき出会った二人の男の子のことを思い浮かべていた。
 彼らは何の目的で福岡までやってきたのだろう。
 背が高い革ジャンの彼だけなら遊びに来たのかとも思う。男二人でどうかとは思うが、時期的には卒業旅行もあり得るだろう。アタシも卒業式の後に由真とその友人たちと一緒に大分の鉄輪温泉に行く計画を立てている。
 しかし、気心の知れた同士に見えた割には、彼らからはそんな楽しそうな雰囲気もあまり感じられなかった。
 ――名前くらい訊いとけばよかったな。
 そう考えて、ずいぶん馬鹿げた考えに自分で笑いそうになった。福岡にだって一二〇万人からの人間がいる。いくら名前を知っていても、異邦人である彼らとどこかで再会する可能性など運命の悪戯以下の確率でしかない。
 曲はクライマックスに差し掛かっていた。リフレインでクリス・コーネルが独特のしゃがれた声で”You know my name!!”とシャウトを繰り返している。
 そんなことはない。彼らだってアタシの名前など知っているはずがないからだ。
 
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