『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.12.10 「Change the world」第23章
 
 博多川沿いを海のほうに向かって歩くと、すぐに明治通りに出る。
 大雑把に言って、天神と中洲界隈は渡辺通りとその西側を併走する天神西通り、ちょっと離れているが博多の大博通りが南北の縦軸、博多湾側から那の津通り、昭和通り、明治通り、国体道路が東西の横軸のハシゴのような形になっている。もちろん、それ以外の道もいろいろあるし、国体道路のように部分的に違う名前になっている通りもあるのでややこしいことはややこしいが、基本的にはそれさえ知っておけばこの辺りで道に迷うことはない。
 何故、アタシがそんなことを力説するかと言うと、向坂と志村が迷子になったのはキャナルの近所ではなく、西鉄グランドホテルからキャナルまでの間でのことだったと聞かされたからだ。
「ちょっと待ってって。この道、向坂くんたちが泊まっとうホテルの真ん前ば通っとうとやけど。やけん、ホテルからまっすぐ歩いてきて川端商店街のアーケード抜けたら、アタシが教えたキャナル行きの陸橋のところに出るとよ?」
「いや、そうなんだろうけどさ」
「地図は? 志村が持っとる本には載っとらんかった?」
「いや……一応」
 もともとハキハキした男ではなさそうだけど、向坂の歯切れは一段と悪くなっている。
 中洲大洋劇場前のバス停からちょうどやってきた路線バスに乗った。親不孝通りはそれほど遠くないしブーツにはヒールがないので歩くのは苦にならないけど、三月の夜はワンピースとカーディガンで長い時間歩くのにはやや肌寒かったからだ。それに市内循環バスは区間内ならどこまで乗っても一〇〇円だ。向坂が乗るときに戸惑ったような顔をしていたのは、関東では後ろのドアは降車用だかららしい。
「向坂くんって、ひょっとして方向音痴なん?」
 後ろのほうの二人掛けの席に向かいながら訊いた。
「そんなことはないさ。知らない街なんだから、迷うのは仕方ないだろ」
「そのために地図ってもんがあるとやけどね。――あ、分かった。向坂くんって地図が読みきらんっちゃないと? ほら、昨日の博多駅でも構内の案内図読みきらんかったけん、博多口と筑紫口間違えたとやし」
 博多駅が方向を見失いやすい造りなのは事実だが、駅構内図は現在位置と行きたいところへの方向が分かるように描いてある。それにあのときは指摘しなかったが、それぞれの出口の真上にはちゃんと”博多口””筑紫口”と表示もしてあるのだ。
 その間違いこそがアタシと二人を引き合わせたのだから、あんまり文句を言ってはいけないのだろうが。
「……しょうがないな、認めるよ。実はあんまり得意じゃない」
 向坂はちょっと乱暴に腰を下ろすと、いかにも渋々というふうに鼻を鳴らした。
「でも、だいたい男の人って地図は読めるもんやないとかな。ほら、そういうタイトルの本があったやん」
「<話を聞かない男、地図が読めない女>だろ。あれは男女の基本的衝動の違いの話で、男なら地図が読めなきゃならないって話じゃないよ」
「読んだと?」
「高校の図書館にあったからね。――あ、この風景は見たことあるな」
 バスが走り出してすぐ、那珂川に架かる橋の上で向坂が言った。
 中洲の川沿いに建ち並ぶビルとその屋上に掲げられた巨大な広告のネオン。対岸の西中洲にも同じように多くのネオン看板が灯されていて、その色とりどりの光が那珂川の真っ暗な川面をパレットのようにして混ざり合いながら映り込んでいる。
 福岡――というか、中洲がテレビで取り上げられるとき、ほとんどの場合、ファーストカットにはこの西大橋の上から撮影したこの光景が使われる。ナレーションはだいたい<九州最大の歓楽街、中洲――>だ。
 バスの窓からでは見えづらいが、西大橋の一本南側に架かる橋を指差した。
「あれが福博であい橋。ホークスが優勝すると、あそこからファンがバカ騒ぎしながら川にダイブするんよ」
「道頓堀みたいなもの?」
「あそこより水はきれいやけどね。ただ、この辺ってもう河口やけん、満潮のときはそれなりの水位になるけど、そうやないときはけっこう浅いけん危ないとよね」
「それでも飛ぶ奴は飛ぶんだろ?」
「……そうなんよね」
「誰か知り合いが?」
「ウチの父親。わざわざダイブしに行こうとしたけん、力尽くで引き止めたけど。もう、なんで男ってあがんバカなんやろ」
「俺も男だけど?」
 少しイヤミな笑顔。この男は普通に笑うよりこういうクセのある笑みが似合う。それが彼の生い立ちに関わるものかどうかは分からない。
「向坂くんはどこかのチームのファン?」
 向坂は首を横に振った。
「いや。赤の他人に感情移入する感覚は、正直あまり理解できないな」
「まったく同感」
 アタシたちは顔を見合わせて忍び笑いを浮かべた。
 バスはそのままアクロス福岡の前を通り過ぎた。明治通りは夕方にはかなりのラッシュに見舞われる。ただ、さすがにこの時間になると流れはスムーズで、強引な運転で知られる西鉄バスもゆったりと余裕を持って走っていた。
 その間、目についた建物やそれにまつわる逸話で思いついたものを話した。区間にして大した距離を走ったわけではない。アクロスの前と福ビルの前、渡辺通りを越えて新天町入口、その次の西鉄グランドホテルの手前のバス停までだからだ。
 それでも話すことは結構あった。
 アクロス福岡が明治通りの反対側から見ると建物そのものが大きな階段のような形をしていて、おまけに全て屋上緑化されているのでまるで街中の山のように見えること。それを由真が「ラピュタみたい」と喩えるのだけど、アタシはジブリ作品は<紅の豚>しかまともに見てないので比喩として正しいのか、今ひとつ分からないこと。
 西鉄の本社が入っている福ビル(正式名称は福岡ビル)がこの界隈では一番古いビルで、西方沖地震の時にこのビルのガラスだけが大量に割れて舗道に降り注いだこと。そのショッキングな映像ばかりニュースで流すものだから、テレビだけ見ていると福岡は壊滅したんじゃないかと思えたこと。
 天神のど真ん中の天神交差点に面した旧西鉄福岡駅ビルが同じ地震の影響で耐震補強工事に多額の費用がかかるという理由で未だに空き家なこと。その向かいにある天神コアが福岡のギャル・ファッションの聖地と呼ばれていて由真が目の仇にしていること。
 新天町商店街が福岡で川端商店街と並んで歴史のあるアーケードであること。そこは祖母の行きつけでアタシもよくお供で訪れること。おかげで一時期、アタシのワードローブがやたらババくさい色合いの服ばかりになっていたこと。でも、そんな祖母の影響でアタシが茶道を嗜んでいること。着物の着付けも自分でできること。最後の二つについて向坂は意外極まりないという表情を隠そうともしなかった。失礼な奴だ。
「ほらね、目の前やろ?」
 バスを降りて、彼らが泊まっているホテルを指差した。
「分かった、もういいよ。それで、親不孝通りはどっち?」
「道、渡ったらすぐ」
 そう言った瞬間に横断歩道の信号が点滅し始めた。走れば間に合いそうだ。
「ほら、急ぐよ!!」
 そう言って、向坂の腕に軽く触れた――つもりだった。
 アタシの手は向坂の二の腕をしっかりとつかんでいた。まるで、ちょっとやんちゃな彼女がおとなしい彼氏を急かすような感じで。
「あ……、ごめん」
「別に謝るほどのことじゃないさ。ほら、急ごう」
 向坂は何事もなかったようにそう言うと、逆にアタシを急かして走り出した。アタシもそれにあわせるように歩調を速めた。
 それ以上に、アタシの鼓動はとんでもない速さになっていた。
 
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