『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.12.10 「Change the world」第24章
 
 向坂がどう思っていたのかは知らないが、天神西通りの北端にある西鉄グランドホテルから親不孝通りは本当に目と鼻の先だ。明治通りと併走する昭和通りまでの一〇〇メートルにも満たない短いブロックを越えて信号を渡った先は、もう親不孝通りだからだ。つまり、西通りと親不孝通りは同じ一本道が途中で名前が変わっているということになる。
「へえ……」
 向坂はポカンと口を開けて感嘆のため息をついていた。ただ、それはどちらかと言えば予想外なものを見たときのような感じに見えた。理由は何となく分かる。
「寂れとうやろ?」
「あ、いや。なんて言えばいいのか分からないけど、想像とはだいぶ違うな」
「ここが盛り場やったんは、一〇年ちょっと前くらいの話やけんね」
 そもそも、親不孝通りの成り立ちはアタシたちが生まれるずっと以前、一九七〇年代に遡る。
 アタシたちがいる南端とはちょうど反対、那の津通り側の北端に水城学園、九州英数学舘という当時地元では大手だった予備校があって、そこに通う予備校生の通学路だったのが名前の由縁だ。
 当初は予備校生向けの喫茶店とかゲームセンターなどが立ち並んでいたのだけど、客層が徐々に変化していって、最盛期には「大人の中洲、若者の親不孝」と呼ばれる夜の街へと変貌していった。世間一般に知られているイメージはだいたいこの頃のものだ。
 一方、若者の集まる繁華街として賑わうのと比例するように犯罪や揉め事も増加した。当時、この地域を担当する舞鶴交番は中洲交番と並んで忙しい交番だったそうだ。
 そうしたことから”親不孝通り”という名称のイメージそのものが悪く、それが犯罪の誘発の一因となっているという声が上がった。福岡市や通り沿いの商店はその対抗手段として、本来の”天神万町通り”の名称を浸透させようと”親不孝通り”と書かれた看板を撤去したり、当時放送中のこの通りで収録されていたテレビ番組のタイトルまで変えさせたりした。
 しかし、結果はと言えば全く浸透しなかったし、全国的な知名度を放棄したことは商業的には逆にダメージになった。なので、何年か前に”おやふこう”の発音を残した”親富孝通り”と改称されたけど、アタシの知る限り、浸透しているとはとても言えない。アタシも漢字で書けといわれたら普通に”親不孝”と書いてしまう。
 ちなみに衰退の主な原因はそれではなく、名前の由来である二つの予備校が少子化と相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備校など)の影響で経営が立ち行かなくなって閉校してしまったからだ。おまけに若者の盛り場が大名や今泉、警固などの南天神に移ったおかげで一時期はちょっとしたゴーストタウン並みに寂れてしまったけど、おかげでテナントの賃料が安くなり、今は居酒屋やバー、その他、小さいながらも店を持ちたい人が集まっているのだという。
「ここは?」
 向坂は通りの中ほどにある細い路地の前で足を止めた。
「ん?」
「この看板。マリアストリートって書いてあるけど」
 覗き込んだ路地の奥には真新しいマンションしか建っていない。怪訝そうな顔をしているのはそのせいだろう。
「ここに昔、マリアクラブっていうディスコがあったんよ。西日本最大とか言うて、バブルの頃はものすごく賑わっとったんて。TMネットワークってバンド知っとう?」
「名前だけは」
「あの人たちの歌にもそのディスコをモチーフにした<マリアクラブ>っていうのがあるんよ。なんでか知らんけど、あの人たちって福岡に縁があるとよね。<ファンタスティック・ヴィジョン>が今でもTNCの天気予報で使われよるし」
「へえ。でも、昔のことなのにずいぶん詳しいんだな」
「ウチの父親と母親が出会ったんがここなんよ」
「ここ?」
「二人とも予備校の生徒やったと。父親のほうは水城の現役コースで、母親は英数学館で二浪しとったらしかけど。やけん、よう昔話で聞かされよったとよ」
「お母さんのほうが年上なんだ?」
「一歳だけね。学年は二つ違うけど。まあ、本人は大学行く気とかなかったけん、適当に授業サボってパチンコ行きよったらしか。英数学館は別名”パチプロ養成所”って有名やったけんね」
「へえ……」
「知り合うたとは二人とも一〇代の終わり――やけん、今のアタシと同じくらいのときやったとやけど、くっついたり離れたり繰り返しよったけん、結婚したとはずいぶん後の話でさ。アタシ、けっこう歳がいってからの子供なんよね」
「お母さんってどんな人だったんだい?」
「アタシが言うとも何やけど、かなりの跳ねっ返りやったらしかね。バイクは乗り回すわ、タバコはぷかぷか吹かすわ。喧嘩もそこら辺の男が束になっても敵わんくらい強かったって言いよったし、お酒は底なしやったらしかし」
「すごい人だな」
 向坂の目が一瞬、悪戯っぽく光った。
「……今、アタシにそっくりとか思ったろ?」
「思ってないよ」
 けれど、声は完全に笑っていた。
 ふん、どうせアタシは母親に生き写しだと言われてるよ。似ていないのは母親が極度の音痴だったこととアタシがタバコを吸わないこと、母親が剣道でアタシが空手なことくらいだ。
 あと、残念ながらアタシは亡き母親の美貌に遠く及ばない。
「真奈ちゃんもよく来てたのかい?」
「まあね。どう考えても子供連れてくるところやなかったと思うけど、よう家族三人で来よった。昔からある学生向けのカレー屋とかきったない居酒屋とか。そうそう、ここの通りの入口に焼鳥屋があったろ?」
「戦国焼鳥なんとかってやつ?」
「そう。あそこすっごい安かとよ。二人ともお金なかったけん、昔から行きよったらしか。アタシもときどき連れていかれよったけど店の中がものすごい煙とうてさ。アタシ、思いっきり咳き込みながら焼鳥食べよったよ」
「へえ、楽しそうだな」
 向坂は穏やかな微笑を浮かべている。
 ――しまった。
 口の中に苦いものが広がる。よりによって、この男の前で幸せだった昔の話をするなんて。
「……ごめん」
「何で謝るんだい?」
 予想に反して向坂の声は温かかった。
「俺、人の幸せな話を僻むような男に見えるかい?」
「そがんことなかけど――」
 言葉が出てこない。向坂も同じように押し黙った。我慢比べのような沈黙。
 それを破ったのは向坂だった。
「羨ましいとは正直思うよ。でも、それを言ったところで過去を変えられるわけじゃない。誰かの人生に取って代われるわけでもないし、誰かが俺の代わりに俺の人生を生きてくれるわけでもない。だったら、他人の人生を羨んだって仕方ないだろ」
「そうやろうけど……」
「まあ、真奈ちゃんの言いたいことは分かるよ。俺みたいな育ち方をしたら、普通はもっとひねくれたクソガキになってるもんな。まあ、ひねくれてるのは事実だけど。――たぶん、感受性ってやつをどこかに置き忘れてきたんだろう」
「そがんことなかよ。向坂くんが優しいとやない?」
「……俺は優しくなんかないよ」
 
 その瞬間、体中の毛穴が開くような感覚に捉われた。向坂の何かを諦めたような遠い眼差しに見覚えがあったからだ。
 どこで見たかはすぐに思い出せた。かつて、鏡に映る自分の顔の中でアタシは何度もそれを目の当たりにしていた。
 
「……ふうん。まあ、自分で言うならそうかもしれんね。――さて、そろそろ戻ろっか」
「えっ? まだ半分くらいしか来てないだろ」
「ここから先は何もなかよ。交番とか見たってしょうがなかろ?」
 そう言って、強引に歩く方向を変えさせた。理由は簡単だ。この先にはできればあまり行きたくないところがある。高校一年のゴールデンウィークにアタシの父親が事件を起こした現場が。
「――分かった。戻ろうか」
 向坂はジッと見つめていたアタシの顔から視線を逸らした。アタシたちは二人で並んで来た道を引き返した。
 さっきまでの饒舌な会話が嘘だったように二人とも押し黙っていた。向坂が言葉を探している気配はあったが、なかなか見つけられないでいるようでもあった。
 それでも、通りの南端にたどり着いたところで彼は口を開いた。
「言いたくないなら言わなくてもいいけど、一つ、訊かせてほしいんだ」
「なん?」
「どうして真奈ちゃんはご両親のことを話すとき、過去形で話すんだ?」
 
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