『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.12.10 「Change the world」第31章
 
「……俺、何か気に障るようなこと言った?」
「べ・つ・に」
 当惑しきった目がアタシの顔色を伺っている。
 多分そうなんだろうとは思っていたが、こいつは女心というものがホントに分かってない。存在するのを知らないのではと思えるほどだ。
 確かにスタバの立て看板にもメニューにも”営業時間は24時迄”と書いてある。アタシもそれは承知の上で店に入った。
 でも、まだ追い出されようともしてないのに腕時計に視線を落とす必要もなければ、時間切れを宣告するかのように席を立つ必要もなかったはずだ。アタシたちよりずっと長く居座っている女子四人組のガールズトークだって、まだしばらくは終わりそうになかったのだから。
「悪かったよ」
「何が悪かったとか分からんとに、謝ることなかよ」
「だから、何が悪かったのかって訊いてるだろ」
「自分で考えたらいいやん」
「……何なんだよ、いったい」
 無意味なことをしている、という自覚はある。
 一緒にいられるのはあと僅か。一キロにも満たない天神西通りを歩いて、向坂がホテルに入っていくのを見送るまでだ。どれだけゆっくり歩いても一〇分程度。
 出来の悪いラブコメのようなケンカではなく、もっと意味のある会話があるはずだ。けれど、何を話せばいいのか。こういう経験の乏しいアタシには思いつかなかった。
 代わりに思い切って勇気を振り絞ることにした。
「……手、繋いでよか?」
「えっ」
 驚いたように向坂がアタシを見る。答えが返ってくる前に向坂のダッフルコートのポケットに手を挿し込んだ。ほっそりした体躯には不似合いな大きくてゴツゴツした手に触れる。
「向坂くんの手、ぬくかね」
「真奈ちゃんの手はずいぶん冷えてるね。――なあ、こんな話知ってるかい。手が冷たい人は心が温かいって」
「それは俗説」
「そうかな。俺はまんざら嘘でもないと思うけど。逆の場合を考えるとね」
「なんね、まだ自分が心が冷たいとか言いたいと?」
「そういうわけじゃないけど」
 不思議だった。
 もう、その低い声を聞いても中学時代の彼氏の顔は浮かばなかった。そして、ずっと引きずり続けていた失恋の痛みも感じなくなっていた。
 決して忘れたわけではない。けれど、それは過ぎ去ったことなのだと思うことができた。
 やはり、アタシは向坂のことが好きなのだ。
 ――でも、それは実らない。
 同時に残酷な事実も脳裏をよぎる。遠距離恋愛なんてものに耐えられるのなら、そもそも前の彼氏と別れていない。仮に今、向坂に想いを伝えて彼がそれに応えてくれても、アタシと彼の間には九州と関東の遠すぎる距離が横たわっている。
 しかし、アタシがこの想いが実らないと自覚しているのはそれだけが理由ではなかった。
 アタシと向坂は似すぎていた。
 僅か一日ちょっとを一緒にすごしただけでそんなふうに感じられるのはおかしな話だけど、心根の奥の部分でアタシたちは同じ類の生き物だった。それはまるで群れに馴染めない一匹狼同士が偶然に出会ったように明らかなことだ。少しの自惚れを許してもらえるのなら、口数が少なくて他人と馴染まない向坂がアタシの前では普通の男の子なのは、彼もアタシと同じことを感じてくれているからのはずだ。
 それ故に相手の気持ちが手に取るように――喜びそうなことも、嫌なものが何なのかも――分かるだろうから、お互いをまるで自分のことのように思いやることができるだろう。
 けれど、それはいつの日か逆に重荷になる。相手の中に認めたくない自分の醜さと同じものを見てしまうに違いないからだ。
 そんなことを考えながら、押し黙って歩道を歩いた。
「なぁ、真奈ちゃん」
 向坂が口を開いた。
 横顔はこれまでに見た中で一番穏やかだった。口許には小さな笑みが浮かんでいる。アタシを見る目には何かを吹っ切ったような光が宿っていた。
「なん?」
「これは言わずに終わろうと思ってたんだけど、やっぱり言うことにするよ。――真奈ちゃん、俺に嘘ついてるだろ?」
「……何のこと?」
「祖母さんの手紙のことさ。君はそれを読んだはずだ」

 アタシは嘘をつくのが上手だ。
 褒められた特技ではないが、自分でも驚くほどスラスラと口から出まかせが言える。自分を良く見せる必要がないので自分のためにつくことは滅多にない。けれど、必要なら幾らでも嘘を並べ立てられるし、同じように沈黙を守ることもできる。そこに良心の呵責を感じることはあまりない。
 けれど、今はそのあまりない”いつか”だった。

「……どうして?」
 やっと搾り出せたのはその一言だった。
「思い出したんだ。祖母さんが自分の病気を知ってすぐに自分の部屋で手紙を書いてたのを。盗み読みなんかしないから誰宛てかは知らなかったけど、考えたら祖母さんは滅多に手紙なんか書かない人だったからね」
「それが?」
「なかったんだよ。その時――去年の六月の初めに届いてなきゃならないその一通だけが、あのスクラップ・ブックの中に」
「そがんと、ただ、古河先生が綴じ忘れとっただけかもしれんやん」
「俺もそう思った。だから、帰りに学校に挨拶に寄ったときに訊いたんだ。去年の六月の手紙がないのはどういうわけですかって。先生はその一通だけが見つからなかったって教えてくれたよ」
「それは……。でも、それとアタシが嘘ついたってのと、どがん繋がっとうと?」
 この期に及んでも抗った。不意の一言に対して見せてしまった沈黙が全てを認めるものであったとしても。
「古河先生が見つけきらんかったものを、アタシが見とるはずないやん」
「確かに俺もあのときはそう思った。けれど、何かがずっと引っ掛かってたんだ。それが何なのかは分からないままだったけどね。――けれど、二人で話していてようやく分かった」
「……何やったと?」
「君は俺によく似ている。自分には自分の考え方があるってことを強く思ってるし、同じように人の心がそれぞれだってことを知ってるから、何かを決めつけてかかったりしない。それなのに、あのときだけは違ったよね」

”感情がコントロールできなくなって、大切な孫を傷つけるのが怖かったからに決まってる”

 あの書斎でアタシは安斎啓子が孫と距離を取り続けた理由をそう結論付けた。それが愛情に由来するものであると向坂に言い聞かせるために。まったくの嘘だったとは思わないけど、恣意的に歪めたものであるのは事実だ。
「志村に俺の足止めをさせて、郷土史家の仕事に興味があるようなふりして自分だけ先に離れに入ったのは、祖母さんの手紙を探すためだったんだろ?」
 答えない。答えられない。
「そして、君は手紙を見つけた。そこにはおそらく、俺に知らせたくないようなことが書いてあったんだ。だから、君はその手紙を俺に見せずに、代わりに他の手紙から俺が傷つかないような答えを導き出した。そうだろう?」
「……そがんと、ただ、アタシの言葉尻を捉えて揚げ足とりようだけやん」
「そうさ。でも、間違ったことを言ってないのには自信があるよ」
「どうして?」
「嫌な特技だけど、他人の顔色から感情を読み取るのは得意なんだ。もし、君が何もしてなくて、あの結論も本当にそう思ってのものだったんなら、どうして、そんなに後ろめたさそうな目で俺を見るんだい?」
 アタシは本物の馬鹿だ。どうしてあのとき、二人を残してさっさとZを走らせなかったのか。そうすれば、この男のこんな言葉を聞かずに済んだのに。自分の後ろめたさから逃れるために、せっかくうまくいきかけていた嘘を自分で台無しにしてしまった。
「……ごめんなさい」
 他に言える言葉はなかった。
 手紙の内容を話さなくてはいけないような気がした。向坂もそれを求めてくると思った。
 しかし、向坂は小さく肯いただけだった。その眼差しがアタシをまったく責めていないのが逆に苦痛だった。
「手紙はアタシが持っとうよ。ここには持ってきとらんけど。――どがんする? 明日、見送りに行くときに持ってきたらよか?」
「そうだな……。真奈ちゃんはこれから家に帰るんだろ?」
 質問の意味が分からない。けれど、肯くしかなかった。
「帰るよ、真っ直ぐ」
「だったら、家に着いたらその手紙を破り捨ててくれ。いや、それだけじゃ足りないな。もう、どんなことをしても読めなくなるように燃やしてしまってくれないか」
「えっ……?」
 向坂の手がアタシの手を握り返してきた。今ごろになって自分が向坂のポケットに手を突っ込んだままだったことに気づいた。
 抜こうとしなかったのではない。話の間、ずっと向坂がアタシの手を離さなかったのだ。
「本当のことが知りたかったっちゃないと?」
「違うよ。――帰りの車の中で真奈ちゃんが言ったよね。どうせ正解が出せないんだったら、どれだけ自分に都合がいい答えを出しても文句は言われないって。ほら、何だったっけ、村上さんが言った台詞?」
「”真実とはバレない嘘のことである”」
「そう。俺は読みたくもない祖母さんの手紙より、真奈ちゃんがついてくれた嘘のほうがいい」
「向坂くん……」
「嫌なことを言わせて悪かったね。でも、言わずに帰ればきっと後悔するし、真奈ちゃんにもずっと苦しい思いをさせたはずだから。――だから、ホントにありがとう」
 ポケットから握り合った手を出して、向坂はアタシに向かい合った。とても丁寧に、しかしきっぱりとした態度でアタシの手を離そうとする。
 そんな向坂の手を自分から振り払った。代わりにアタシよりもちょっとだけ背が低くて、ちょっとだけほっそりした身体に抱きついた。
「……アタシ、まだ、帰りとうない」
 さっきまで言えなかったその言葉を、とても素直に口にすることができた。
 
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