『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.12.10 「Change the world」第32章
 
 ベッドに横になって、真っ白なクロス貼りの天井を見上げる。
 豪華だけど薄っぺらな内装は如何にもそのための部屋という感じだった。部屋のど真ん中を占領しているキングサイズのベッド、アンティークっぽい造りのソファとテーブル、クリーム色の遮光カーテン。壁のあちらこちらに架けられている鏡にシーツに覆われた自分が映っていると思うと何だか恥ずかしい。
 暖房がうっすらと効いた室内は火照った身体には少し暑かった。枕元に手を伸ばしてエアコンのスイッチを切る。一人なら間違いなくシーツを蹴飛ばしているところだけど、何も身に着けていないのにそんなはしたない真似はできない。
 アタシたちは今泉にあるラブホテルにいた。
 西通りを逆戻りして国体道路を渡り、狭苦しい路地を抜けると今泉だ。南天神というのは警固と大名、今泉を指すのだけれどその中で一番南側になる。大名と同じく古びた建物と真新しいマンションが入り混じるように建つ半分商業地、半分住宅地といったところだ。ど真ん中にある今泉公園の周りのビルにはカフェや居酒屋といった店がチラホラ見える。
 しかし、今泉のもう一つの顔はラブホテル街だ。何せ公園のど真ん前のファミリーマートの二階から上がホテルになっているし、周囲にも多くのホテルが軒を連ねている。
 今泉を選んだのは単純に近かったからだ。
 他に天神周辺のホテル街といえば春吉橋の袂、屋台の通りがあるところの対岸と博多湾に突き出した須崎埠頭ということになる。しかし、どちらも歩いていける距離ではなかったし、この時間にカップルがタクシーを拾って春吉、または須崎埠頭へやってくれと言うのは運転手に向かって「今からセックスしに行きます」と告げているのに等しい。それはアタシの乙女心が許さなかった。まあ、自分から向坂をホテルに誘っておいて乙女心もへったくれもないもんだが。
 それでも、さすがに一緒にお風呂には入れなくて、別々にシャワーを浴びてベッドに入った。お互いに気を遣い合うような一回目が終わって、ほんの少しの休憩を挟んで二回目をした。続けざまだったことに少し驚いたけど、どんなに諦めきったジジくさいことを言っていても十九歳の男子なわけで、驚くには値しないのかもしれなかった。上手なのかどうかは、前の彼氏しか知らないアタシにはよく分からない。
 ――それにしても、まさか、こんなことになろうとは。
 隣に向坂がいないのをいいことに盛大にため息をついてみる。
 客観的に見れば、アタシがしていることは昨日知り合ったばかりの行きずりの男との一夜のアヴァンチュールだ。積み重ねた過去もなければこれからの未来もない。本当にただ、この夜の感情に任せて肌を合わせたにすぎない。
 他人が言うほど男嫌いでもなければ性的なことに潔癖なわけでもないけど、自分にこんなことができるとは夢にも思わなかった。
「どうかしたのかい?」
 向坂が戻ってきた。
「何が?」
「いや、何だか笑ってたように見えたから」
「向坂くんの格好見て、可笑しかったけんやろ」
「ひどいな。ま、自分でも似合わないなって思うけど」
 トイレに行くだけにわざわざ服を着るのは面倒だ。だから、向坂は備え付けのバスローブを羽織っていた。それがほっそりした体格とはかなりのミスマッチなのだ。まあ、バスローブを上手に着こなせる人間を石田純一以外にアタシは知らないけど。
 隣に横たわるかどうか迷って、向坂はベッドの縁に腰を下ろした。アタシからは彼の背中しか見えない。
 その肩が小さく上下した。笑ったのだと気づくのには少し時間がかかった。
「どうしたと?」
「いや――まさか、俺と真奈ちゃんがこんなことになってるなんて、志村は想像もしてないだろうなって思って」
「そうやね」
 人となりを知らないアタシはともかく、向坂がこういうことをするのは志村には意外なことなのだろう。由真はアタシの行動を想像くらいしているかもしれないが。
「志村にバレたら、メチャクチャ冷やかされるやろうね」
 向坂は振り返って顔をしかめた。
「その程度で済めばいいけど、多分、ぶん殴られるだろうね。てめぇ、抜け駆けしやがってって」
「どうして?」
「あれっ、気づいてなかったのか。真奈ちゃんって志村のタイプなんだよ」
「アタシが!?」
 思わず上半身を起こす。もちろん、シーツの胸元はしっかり押さえて。
「志村が言うたと?」
「いいや。でも、見てれば分かるさ。あいつは同級生とか、まあ、一つ二つ年上くらいの女の子にはまったく興味を示さないのに、真奈ちゃんだけはジーっと見つめてたからね。ははぁ、こりゃそうなんだなって」
「なんかフクザツ」
 しかし、そうであれば志村のアタシに対する微妙な態度も合点がいく。なんだかんだで邪険にしたことに一抹の後悔を感じたけど、志村だって最後はアタシをほっぽりだして由真一辺倒だったのだから文句を言われる筋合いではない。
「人のことはよかけど、向坂くんはどうなん?」
「真奈ちゃんのこと?」
 コクリと頷いてみせる。向坂はちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「もちろんタイプだよ。ストライクゾーンのど真ん中」
「うっわ、ウソくさっ」
「そんなことないさ。本当だよ」
「信じられんよ。向坂くん、嘘つきやもん」
「……俺が何の嘘を?」
 ポカンとした顔。
「いいと。とにかく、嘘つきなんよ」
「訳が分からないな」
 そうだろう。おそらく、無意識に口にしたことだろうから。
 ――好きだよ。
 行為の最中に向坂はアタシの耳元でそう囁いた。
 けれど、それはアタシが同じ言葉を口走ったことへの返事でしかなかった。考えてみれば当たり前のことだ。彼にとって今、この場にいることすら予想外の出来事であり、当惑を隠せないことなのだから。アタシが彼に抱いているのと同じ気持ちを彼が抱いているはずはなかった。
 それが分かっていて、何故、アタシは彼に抱かれたのか。
 おそらく、他に方法を思いつかなかったからだ。どれだけ言葉を尽くしたところでアタシの中に向坂の痕跡を刻むことはできなかった。同じように言葉だけで彼の記憶にアタシの存在を残すことはできないだろう。
 もちろん、今夜のことだっていつまでも記憶に留まるとは限らない。けれど、少なくともアタシは向坂永一という男の存在を実感することができた。それに彼の言葉を信じるなら、アタシは彼の最初の女性なのだ。それで充分だった。
 
「三月だっていうのに冷えるね」
 エアコンを切ったせいではないだろうけど、向坂は寒そうに小さく肩を震わせた。
「横に来んね」
「ああ」
 向坂がシーツに身体を滑り込ませる。ゴソゴソと身体を動かしているのはバスローブを脱いでいるのだろう。
 温もりを感じようと傍に寄る。
「あれっ?」
「どうかした?」
「ねえ、お母さんの不倫相手の奥さんに刺されたと、脇腹って言いよらんかった?」
 アタシの手は彼の腹部に触れていた。へその少し下の辺りの皮膚がちょうどナイフの刃くらいの幅で捩れて手術痕のように違う手触りになっている。
「これは別のときに刺されたんだ」
「……そがん、何回も刺されとうと?」
 思わず呆れ声になってしまう。どんな人生を送っていればそんなことになるのか。
「ひょっとして、去年の秋の大怪我ってこれのこと?」
「何でそれを――」
 そこで向坂は訊くのをやめた。アタシが彼の祖母の手紙を読んでいるのに思い至ったのだろう。
「何があったと?」
「ちょっとね。人に自慢げに聞かせるような話じゃないんだけど」
「えーっ、聞きたい」
「……面白い話じゃないよ?」
「分かっとうよ。でも、向坂くんのことやったら、何でもいいけん知りたいと」
 詮索はするのもされるのも嫌いだ。だから、普段のアタシは絶対にこんなことは言わない。
 けれど、今は違っていた。
 高校二年の秋、彼の身に起こったとても悲しくて残酷な出来事を、向坂は思い出すようにポツリポツリと話し始めた。
 
 白川正春。向坂が幼い頃に住んでいた町の名士の息子。温室で美しい花を育てていて、そこに迷い込んだ向坂に――誰からも声を掛けられなかった孤独な少年に――初めて優しい言葉を掛けた男。まともに学校に通えず字も満足に読めなかった向坂に勉強を教え、何かに興味を持つことや学ぶことの楽しさを教えた男。
 しかし、その男は同時に唾棄すべき所業に手を染めていた。確かなこととは言えないが自分に性的な虐待を加えていた兄を殺し、幼児を二人殺し、自らが愛した温室に火を放って家族を殺して姿を消したのだという。偶然のめぐり合わせによってその魔手から逃れたたった一人の人間が、他ならぬ向坂だった。
 去年の秋、もう逢うこともないと思っていた向坂の前に白川正春は戻ってきた。性別を変えて赤の他人とすり替わって。
 自分にとって全てだった人間との対峙は、向坂にとって残酷な二者択一だった。幼き日の約束を守るか、それとも彼を裏切るか。
 向坂はそのどちらも選ばなかった。自らの命をかけてその男に悔悟を求めた。彼の大怪我はそのために負ったものだった。
 白川正春は向坂を病院に運び込んだ後、忽然と姿を消した。その後については何も分かっていないのだという。
 
 話し終えた彼に何かを言うべきな気がした。けれど、掛けるべき言葉は見つからなかった。それは軽々しく「大変やったね」などと同情できるような話ではなかった。
 代わりに気になったことを口にした。
「マサハルって、志村の下の名前も同じやなかった?」
「字は違うけどね。最初は何の偶然かと思ったよ。もちろん、そんなに珍しい名前じゃないから俺のほうが過剰に反応しただけなんだろうけど」
「それが志村のこと、ほっとけんかった理由?」
「どうなんだろうな。同じ名前じゃなくても放ってはおけなかっただろうけど――いや、やっぱりどこかで重ねていたのかもしれない。だから、俺はあいつを名前で呼べないんだ」
「志村は名前で呼ぶばってんね。永って」
「いつか、あいつを名前で呼ぶことがあるかもな、って思ったこともあるけど、今さら呼び名を変えるのも難しいし」
「ま、そうやろうね。――ねえ、お腹の傷に触ってよか?」
「構わないけど……」
 当惑する向坂には構わず彼の腹部に手を乗せた。年頃の女の子がジェラシーを感じそうなほどほっそりした身体。正直、アタシはもう少し逞しいほうが好きだけど、男子にしては触り心地のいい肌を撫でるのは気持ちよかった――けれど。
「あれぇ?」
 向坂の顔を覗き込む。驚いたことにその顔は真っ赤だった。
「……俺のせいじゃないよ。真奈ちゃんが触るから」
「直接は触っとらんやん」
「仕方ないだろ。生理現象ってやつなんだから」
「それは微妙に意味が違うと思うけど。――でも、こっちはあんまりジジくそうなかね」
「当たり前だろ」
 恥ずかしいのか、向坂は子供っぽく頬を膨らませる。アタシはそこに軽くキスした。
「ねえ、最後にもう一回、しよ」
「そうだね」
 向坂は身体を起こしてアタシに覆いかぶさってきた。その首に軽く手を回しながら、今度はしっかりと唇を重ねた。
 
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