『琥珀色の遺言』(別館)

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2008.12.10 「Change the world」第34章
 
 ――ねぇ、向坂くんって好きな人とかおると?
 
 午前様どころかほぼ朝帰りと言っていい時間。向坂が泊まるホテルの前での別れの場面でアタシはそんなことを訊いた。
 言葉を選ぶ素振りを見せたのは、彼なりに場の空気を読もうとしたからだろう。嘘でもいいから好きなのはアタシと言うべきと考えたのかもしれない。
 そう言わなかったのは、アタシがそんな見え透いた社交辞令を求めていないのを感じたからだと思う。代わりに向坂は「……気になってる子ならいなくもないけど」と彼らしい物言いで白状した。
 卒業式の後に彼のところへ来て告白したのは、何と、気になっているその子だったのだそうだ。
 
「……へぇ、寺田さんっていうと。下の名前は?」
「亜紀。二年のときのクラスメイトでね。ほら、話しただろ。俺が文化祭の出し物で劇の主役をやるところだったって話。あれを仕切ったのが彼女なんだ」
「演出家と主演男優の仲ってわけ?」
「怪我で舞台に穴を空けた主演男優だけどね」
 向坂が小さく笑う。ちなみに劇は「王子と乞食」で、向坂の代わりに舞台に立ったのは志村だったというから驚く。
 どんな子なのか教えろという質問に向坂が答えたところによると、寺田亜紀は小柄でちょっとおっとりした感じの、平たく言うとアタシとは正反対のタイプらしい。
「やっぱり、男はそういう可愛かタイプのほうがいいとやねぇ」
 わざとらしくため息をついてやる。
「そういうわけじゃないよ」
「口ではどがんでも言えるやん。結局、そういうタイプを選んどるとやし」
「だから」
「ふーん、どうせアタシみたいな可愛げのない大女はストライクやないとよねぇ」
「えーっと、何て言えばいいのかな……」
 向坂はそこから先を言いよどんだ。本当に困っているようだったので、そろそろ許してやることにした。
「冗談って。――よかったね、向坂くん」
 その言葉は本心だった。
「……真奈ちゃんに先に言われたけどさ」
「ん?」
「本当はこの電話は、それを報告するためのものだったんだ。それも約束だっただろ?」
「そうやったっけ?」
 今度は確信犯でとぼけた。その約束はしっかり覚えている。
 ――もし、彼女ができたら最初にアタシに報告して。
 おかしな話だけれど一夜を共にしたことでアタシの中に生まれたのは、向坂を何百キロも離れた遠い地にいるもう一人の自分のように思う不思議な感覚だった。それはアタシにジェラシーではなく、彼の身に訪れた小さな幸せを素直に喜ぶ気持ちを持たせてくれた。性別を越えた親友というのがもし成立するのなら、アタシと彼がそうなのかもしれない。
「大事にしてあげんといけんよ?」
「……ああ。分かってる」
「それと、もし、これからアタシのことが話に出ることがあったとしても、アタシを名前で呼んだらダメ。榊原って苗字で呼ぶこと」
「どうして?」
「当たり前やろうもん。付き合い始めたばっかりの彼氏が他の女の子を名前にちゃん付けで呼んだら、その子が気にするやんね」
 何でそんなことが分からんかな、この朴念仁は。
「とにかく約束」
「……分かった、そうする」
「そうして。――じゃあね、彼女とお幸せに」
 笑いながらそう言って電話を切った。
 
 別れ際に向坂に言われたことが脳裏に甦る。
 
 ――真奈ちゃんこそ、好きな人がいるんじゃないのか?
 
 最初はアタシへの小さな反論かと思った。けれど、向坂の表情にはそんな色は見えなかった。そして、彼がアタシに何を言わせたいのかは見え見えだった。
 
 ――言うたろ。あいつはアタシにとってそがん相手やなかって。
 
 アタシが村上恭吾という男に抱いているのは今よりまだ幼かった日の憧れ、初めての失恋――そんな甘苦しい思い出ばかりではない。
 それは後悔と申し訳なさ。そして何より、アタシとアタシの父親を暖かく見守ってきた男を信じられなかった自分への強烈な自己嫌悪だった。そんなアタシが、仮に彼のことを好きだと思い続けていたとして、どうしてそれを口にできるだろう。

 ――でも、大切な人なんだろう?

 ――そうやけど。

 向坂はアタシに掛ける言葉を見つけられなかった代わりに、そっとアタシを抱きしめた。
 
 ――だったら、約束して欲しいんだ。どんなことがあっても諦めないって。真奈ちゃんの気持ちは簡単には届かないかもしれないけど、それでも手を伸ばし続けることを諦めないって。
 
 彼が言わんとすることの意味がよく分からなかった。
 
 ――どうして、向坂くんがそがんこと思うと?
 
 向坂はアタシを抱く腕に少しだけ力をこめた。
 
 ――届かなかったから。
 
 ――えっ?
 
 ――俺の手は正春に届かなかったから。そして、もう二度と届くことはないから。でも、真奈ちゃんの手は大切な人に届くところにある。……だから、諦めて欲しくない。
 
 村上への気持ちが恋愛感情へ変わっていくかどうかはアタシ自身にもよく分からない。それでも、そう思えるときが来たら自分に嘘はつかない。それだったら約束する――アタシはそう答えた。
 向坂は返事の代わりに最後にもう一度、アタシを強く抱き寄せた。
 
 エントランス前の車寄せにパールホワイトのフェアレディZが滑り込んできた。ハザードを灯して村上が降りてくる。
 この後の用事は中学時代の友人の結婚式だそうで、アタシを送った後は直行できるように村上はスーツに着替えている。韓流スターのような甘いマスクと理知的な雰囲気を強調するような眼鏡、普段の堅苦しさとは正反対のジャンフランコ・フェレのタイトなシルエットのグレイのスリー・ピースとボルドーのネクタイ。結婚式なのにシルバーじゃなくていいのかと訊いたら「そんな席じゃない」と一蹴された。まあ、別にどうだっていいけど。
 腹立たしい話だけど、まるでドラマのワンシーンのようにその立ち居振る舞いは際立っている。歩いていた女性たちの大半が思わずそこで足を止める。大げさではなく本当にそうなのだから呆れるしかない。
 村上は自分に向けられる視線などまるで気にせず、テキパキとZのトランクに買い物袋を収めていく。
「誰が食うんだ、こんなに」
 呆れ顔は無視。全員女の子だからそんなに用意しなくても、とは祖母も言ってたけど、男子の目のないところでの女子高生の食欲を馬鹿にしてはいけない。
 トランクの蓋をちょっと乱暴に閉めて運転席に回る村上を待たせて、目についた自動販売機に駆け寄った。ブラック・コーヒーを二つ買う。
 助手席のシートに身体を滑り込ませて、ドリンクホルダーに買ってきた缶を置いた。
「忘れとった」
「……何を?」
「約束しとったやん。手紙が外の祠から見つかったらコーヒー奢るって」
 村上の怪訝そうな表情はすぐに納得したものに変わった。
「俺も忘れてた。なんだ、別にどうでもよかったのに」
「そういうわけにはいかんよ。あんた、後になってから嫌味ったらしかこと言うけんね」
「俺はどんな人間だと思われてるんだ?」
 返事の代わりに鼻を鳴らしてやる。村上は黙ってコーヒーのプルタブを起こした。
 Zは車寄せを離れて駐車場を周回する。とにかく敷地が広いので出口までは結構距離があるし、おまけに誘導員がどう考えても無駄なルートを走らせてくれるので国道に出るのには時間が掛かった。
「……どうだったんだ?」
 村上が言った。こっちを向く気配はない。この男はいつもそうだ。
「何が?」
「秋月での一件さ。上手くいったのか?」
 何と答えればいいのか、ちょっとだけ迷った。あれが上手くいった結果なのか、今でも自信を持てていないからだ。
 けれど、少なくとも悪い結果ではなかったはずだ。
「うん、まあまあってとこかな」
「そうか……。それならいい」
 村上の一言はアタシに言ったというより、自分が納得するための呟きに聞こえた。
「――ねえ、この車にクラプトンのCD載っとる? <アンプラグド>以外で」
「載せてる。<ピルグリム>と<クラプトン・クロニクルズ>」
「ベスト盤のほう」
 村上は黙ってダッシュボードを指差した。蓋を開けるとこの前とは打って変わってロック関係のアルバムが詰まっていた。してみるとあのときのセレクションはやはり嫌がらせだったのか。
 まあ、いい。その中から<クラプトン・クロニクルズ>を引っ張りだした。CDをコンポのスリットに射し込む。スキップボタンで二曲目の<チェンジ・ザ・ワールド>を選んだ。

”Baby if I could change the world ”

 もし、アタシにそんな力があったとしても、向坂の心を照らして氷を溶かす役目はアタシのものではない。それは少しだけ切なかった。
 あの朝、ホテルに入っていく向坂を呼び止めたアタシは、彼のところへ駆け寄って頬にキスした。

 ――幸運のおまじないやけんね。

 ほんの少し前まで情熱的に肌を合わせておきながら、最後のキスが唇でないのは逆に面映かった。でも、アタシと向坂永一のお別れの挨拶にはそのほうがピッタリだったはずだ。アタシは今でもそう思っている。

<了>
 
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